歴史

歴史 HISTORY

製造業から専門商社への
事業変革の歴史


創世記

給水栓製造「龍玉精工」の誕生

「龍玉精工」のルーツは、1924年(大正13年)に創業者の父・北村静男が、名古屋の地で起こしたバルブ・給水栓製造の「北村鋳造所」に始まります。第二次世界大戦の戦災で故郷の岐阜県美山町に移ったあと、美山町は地場産業として日本一の給水栓生産の町になりました。1968年(昭和43年)、縁ある方からの依頼で、弊社の前身である自動車部品製造会社の再建を引き受け、創業者・北村義明が社長に就任し、給水栓の生産に切り替えました。高度成長期に、住宅建設が増加し一般家庭にシャワーが普及したことにより、生産量は順調に拡大、1972年(昭和47年)には鋳造・加工工場を新設、翌年には組立工場を増設いたしました。創業3年目ごろから、「造るだけではなく地域の方に販売しよう」という社長方針の元、営業部を新設し、地元の設備工事業者様に、自社ブランドの給水栓をはじめ水道用資材の販売を開始して、1974年(昭和49年)にお客様の会「タツタマ会」を発足、商圏拡大を進めました。

第1転換期

本社移転と新プラントの建設

昭和50年代、安定成長の時代になっても、公共上下水道の普及、一般住宅の湯水の使用場面の増加を受けて、製造・販売共に順調に推移し、朝シャン用のシャワーの製造・販売、システムキッチン、ウォシュレットなどの高機能商品の販売が増加いたしました。1984年(昭和59年)には、刈谷営業所を新設して、西三河西部から知多北部に商圏を拡大しました。1989年(平成元年)、本社を現在地に移転。倉庫も拡張して営業の拠点としての機能を充実し、同年、知多営業所を新設いたしました。

第2転換期

専門商社への業態転換と新事業への挑戦

1995年(平成7年)、新しい世紀に向けて愛知県西三河および知多北部のライバルに負けない圧倒的な顧客サービスの強化のため、営業拠点の充実を図ることにして、岡崎南営業所を新設。1998年(平成10年)には住設販売部門を独立。2002年(平成14年)に豊田営業所、2008年(平成20年)には安城営業所を開設して、西三河No.1のサービス拠点網を誇る商社機能を構築いたしました。リーマンショック以降は、太陽光発電設備など創エネルギー・省エネルギー機器の販売に積極的に取り組み、新たな収益の太い柱として成長を続けています。2011年(平成23年)より、買取リサイクル事業に取り組み、10年先を見据えた事業展開を積極的に行っています。

龍玉精工株式会社
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